『大阪うちなーんちゅライフ』について

はじめまして。

『大阪うちなーんちゅライフ』にご訪問頂きありがとうございます。

あらぐすく

まずはじめに簡単な自己紹介をさせてください。

自己紹介

生い立ち

1988年
大阪市西成区で誕生

1988年2月、沖縄にルーツがある家系に生まれる。

幼稚園〜大学

小学生の頃に初めて沖縄の地を踏む。
高校、大学では英語を学び、アメリカ・オーストリア・イギリスへ留学。
関西外国語大学・英米語学科卒業。

2011年
外資系企業に就職

某会社の海外事業部配属。社会人4年目の時、大学時代の友人の結婚式に参列するため、2度目の沖縄。

2016年
沖縄旅行に目覚める

知人に誘われ、沖縄で開催されたビーチサッカー全国大会に参加(観戦)。3度目の沖縄。
この旅行を機に、沖縄の魅力にどっぷりハマり、年2・3回、渡沖するようになる。

2018年
沖縄へプチ移住

長年勤めた会社を退職し、本部町のゲストハウスでWWOOF体験をしたのち、久米島へプチ移住。

海外放浪

長年の夢であったFIFAワールドカップ観戦のため、3ヶ月海外ひとり旅に出る。

2019年
二度目の久米島プチ移住

再び久米島へ。

2021年
サーターアンダギー店経営

帰阪し、サーターアンダギー店をオープン(現在休業中)

現在
沖縄情報発信に注力

某会社で広報デザインの仕事をしながら、フリーライターとして執筆活動に励む。
オキナワグラフ関西通信員、琉球新報大阪通信員として活動中。

趣味

サッカー観戦/フットサル/ダイビング/サーフィン/読書/海外旅行(27カ国訪問)

好きな沖縄料理

沖縄そば/サーターアンダギー/もずくの天ぷら/ジーマーミ豆腐の揚げ出し/人参しりしり

好きな沖縄ソング

三線の花/島人ぬ宝/童神/イラヨイ月夜浜/海の声/涙そうそう/遊び庭

『大阪うちなーんちゅライフ』を開設したきっかけ

わたしは大阪生まれ大阪育ちの関西人ですが、ルーツは沖縄にあります。

今帰仁村出身の曽祖父が、大正13年に沖縄1世として大阪へ移住してきました。

祖父は、大阪ではなく今帰仁村で生まれ(里帰り出産)、幼少期を沖縄で過ごし、

のちに本部町出身の女性(祖母)と大阪で出会い、結婚しました。

大阪には、大正区という地域があり、そこには多くの沖縄出身移住者が住んでいることから、『リトル沖縄』と呼ばれています。

わたしは、その大正区の隣町、西成区に住んでおり、西成にもたくさんの沖縄県出身者がいます。

沖縄文化はいつも身近にあった

小さい頃から沖縄県人会の行事に参加させてもらい、

食卓にはゴーヤーチャンプルーやポークが並び、

近所のおじいちゃんおばあちゃんの家に行けば

「あれ食べなさいこれ食べなさい」とカメーカメー攻撃を受け、

親戚行事があるたびサーターアンダギー作りを手伝い、

大阪に住みながらも沖縄はいつも身近にありました。

そんな私がはじめて沖縄に行ったのは小学生の時だったのですが、

「こんなに綺麗な海が日本にあるのか!」

と大阪湾しか知らなかった私は驚いたのを覚えています。

沖縄の”美”を残したい

社会人になってから、時間を作っては沖縄へ行き、沖縄の魅力をだんだんと知るようになりました。

沖縄の自然や、伝統や、人に宿っている”美”を残していきたい。

そういう想いが、沖縄を訪れるたび強く募っていきました。

大阪に住んでいても沖縄のために何かできないか。

そこで、沖縄の魅力を伝えるべく、サイトの開設に至りました。

大阪に住んでいる自分だからこそ、

沖縄にルーツがある自分だからこそできる

『沖縄と大阪の架け橋』として、

みなさんの生活が豊かになる沖縄情報をお届けできればいいなと思っています。

とキレイにまとめましたが、話にはまだ続きがあります。

あらぐすく

長くなりますが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

自分のルーツについて見直して気づいたこと

沖縄情報を発信するからには、

もっと沖縄のことを勉強しないといけないし、

自分のルーツについても深く見直したいと思い、

親戚に話を聞いたり、曽祖父が書き残した日記を読んだりするようになりました。

そこには、故郷・沖縄から大阪へ渡るときの複雑な気持ちや、

来阪後の貧困生活、琉球人差別、戦時中の大変な様子が綴られていて、

どれも今まで聞いたことがない話でした。

今の環境は決して当たり前じゃなかった

その当時のことをさらに文献などで調べると、

大阪での琉球人に対する差別は想像以上に酷いものでした。

差別から自分の身を守るため、また自分の子供を守るため、

沖縄出身であることを隠し通した人も少なくありません。

こうした差別や、戦時中・戦後の厳しい時代を生き抜いてきた世代に比べ、

自分の世代はどうなのか。

親は、沖縄へ行くにはまだパスポートが必要だった時代に生まれていますが、

私は、沖縄本土復帰という瞬間にも生まれていない世代です。

沖縄ブームのおかげか、沖縄にルーツがあると言うと

いいなぁ〜と羨ましがられることがほとんどでした。

これが当たり前ではなく、一体どれほど有り難い環境なのか。

子供の頃は考えたこともありませんでしたが、

先人が幾多の苦労を乗り越えてきてくれたからこそ、

今「沖縄にルーツがある」と言っても偏見もなにもない

平和な環境があるんだなということを感じるようになりました。

「ウチナーンチュ」であることの誇り

また、ウチナーンチュに関する本を探していた時に、

大阪生まれのウチナーンチュ二世である仲村清司さんが書かれている一冊の本に出会いました。

沖縄の人たちは移り住んだ先で生まれた子どものことを二世、三世と呼ぶのがごくふつうのことになっているのだ。考えてみればフシギなことである。たとえば、青森の人や徳島の人が東京や沖縄に移住し、そこで子どもが生まれたとしてもそうは青森人二世とか徳島人三世とは呼ばないはずである。

中略

いいかえれば、それほどまでに一世の人たちは沖縄に対する帰属意識が強かったということになる。

『沖縄学』仲村清司

なるほど。

だから、県出身者は沖縄アピールが凄いんだ!と納得。

だとすると、そこまで「ウチナーンチュ」であることに誇りを持っていた先人が、

昔は盛んに行われていた県人会や郷友会のイベント行事が減少傾向にある今の状況を見たら

どんな気持ちなんだろうと考えました。

昔は、バスを出して甲子園へ県代表高校を応援しにいったり、

地域の小学校の運動場を借りて県人会の運動会が開催されていましたが、

現在は行われていません。

少子高齢化も原因の一つですが、

沖縄にルーツがあることを特別に意識しない世代が増えてきています。

3世、4世、5世と世代をまたぐごとに、

沖縄の血が薄れていくことは仕方がないことかもしれません。

ですが、沖縄のことが大好きで大好きでたまらなかった先人たち。

自分の子孫が沖縄に対して関心が薄ければ、

「沖縄のこと忘れやんといてや〜」とグソー(あの世)でしょんぼりしているかもしれません。

沖縄4世の自分に何ができるか

たとえ沖縄の血は薄くても、沖縄に想いを馳せ、

子孫みんなで仲良く助け合いながら沖縄を盛り上げていくことができたなら、

きっとご先祖さまは喜んでくれるだろうし、それが最大の恩返しになると思いました。

このサイトをきっかけに、自分と同じ世代、また、これからの世代の大阪うちなーんちゅが、

もっと沖縄に関心を寄せ、沖縄を大好きになってくれたら嬉しいです。

沖縄1世として大阪へ渡ってきた私の曽祖父は、

故郷沖縄と関西の絆が途切れることなく継承して欲しいと願い、

県人会や郷友会の立ち上げに携わり、

その想いは2世、3世へと受け継がれてきました。

4世である私もその想いを継ぎ、

“大阪と沖縄の架け橋”として沖縄文化の継承や発展に貢献したいと思います。

どうぞ『大阪うちなーんちゅライフ』をよろしくお願いいたします。

曽祖父の記念碑がある今帰仁村歴史文化センター近くにて
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